Sabtu, 08 Juni 2019

「お前は所有物だ」女性奴隷で人体実験 偉人の抱える闇 - 朝日新聞

 米ニューヨーク・マンハッタンの北東イーストハーレムに面したセントラルパークに、空っぽの台座がぽつんとたたずむ。昨年4月、騒然とする中、台座に立っていたブロンズ像は、ロープがかけられ、撤去された。

 ジェームズ・マリオン・シムズ(1813-83)。南部サウスカロライナ州生まれの医師で、「現代産婦人科の父」と呼ばれる。

 当時の女性は、低年齢や栄養不足が原因で、出産で膣(ちつ)に穴が開く「膣瘻(ちつろう)」(フィスチュラ)という症状に悩まされていた。便や尿が漏れるほか、感染症にもかかりやすくなり、働くこともままならない。

 女性の尊厳や生活の質に関わる症状で、アフリカなど途上国では現在でも数百万人の女性が苦しんでいるが、当時は治療法がなかった。シムズは器具を開発し、フィスチュラの手術を確立した。

 功績を手に、ニューヨークに移ったシムズは、最初の婦人病院を開設し、米国医師会長を務めた。名声は欧州にも広がり、フランス皇帝ナポレオン三世の妃ウジェニーを診察したこともある。片足を引きつけて横向きに寝る姿勢は「シムズの体位(姿勢)」と呼ばれ、浣腸(かんちょう)や直腸検査時に今も使われている。

 セントラルパークのブロンズ像は、1934年、彼がメンバーだったニューヨーク医学アカデミーの5番街を挟んだ向かいに立てられた。

 ところが彼の功績には、像では語られない負の面があった。

 治療法の実験に、奴隷として自由を奪われたアフリカ系(黒人)の女性たちの体を使っていたのだ。

 南北戦争(1861-65)前、シムズが開業した南部アラバマ州モンゴメリーは奴隷貿易の中心地だった。シムズは1840年代、プランテーションを回って奴隷の診察を行い、フィスチュラの症状がある女性を農場主から借り受けては、新たな治療法を試みた。

 奴隷の女性は、貴重な労働力でもあり、子どもを産み、資産となる奴隷を増やす道具でもあった。

 実験に参加した奴隷女性のうち、シムズが自伝で言及し、名前が分かっているのはアナーチャ、ベッツィー、ルーシーの3人のみだ。17歳だったアナーチャには成功するまで30回もの手術が行われたという。近代的な麻酔技術は開発されたばかりで、使われなかった。縫合跡が腐敗し、亡くなった女性もいたという。

「誰も何も知らなかった」

 シムズの像が建っていた地元イーストハーレムに40年以上住む貸しビル業ダイアン・コリエーさんは「毎日横を通っていたが、像には説明もなく誰も何も知らなかった」と話す。

 10年ほど前、シムズの奴隷を使った実験と人種差別に光を当てた著作が発表され、住民代表の地域委員会の一部から撤去を求める声が上がった。

 コリエーさんは「麻酔なしに女性の過敏な部分を手術するなんて考えただけでぞっとする。ここイーストハーレムは有色人のコミュニティー。ブロンズ像はすべての女性を不快にさせる。ハーレムに彼をたたえる場所はない」と言い切る。地区委員会の委員長をしていた2016年、委員で投票を行い、像の撤去をニューヨーク市に正式に要請した。

 シムズの像撤去の動きを後押ししたのが、17年8月に起きた「シャーロッツビルの衝突」だ。南部バージニア州で集会を開いていた白人至上主義団体と反対派が衝突し、1人が亡くなった。きっかけは、南北戦争で奴隷制度存続を掲げて戦い、敗れた南部連合の英雄リー将軍の像の撤去の動きだった。

 事件後、デブラシオ市長は、委員会を立ち上げ、市内の公共施設にある800以上の像や記念碑、歴史の説明板などが適切かどうか検討した。そこにはシムズのほか、近年、先住民の略奪者だと批判される、新大陸発見者コロンブスの像も含まれた。

 シムズの像撤去の是非は、論争…

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https://www.asahi.com/articles/ASM5T224XM5TUHBI002.html

2019-06-08 07:00:00Z
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