Selasa, 23 Juni 2020

米朝の終戦宣言、阻止に動いたボルトン氏 回顧録出版 - 日本経済新聞

ボルトン前大統領補佐官(左)は米朝首脳会談に関与した(ハノイの2回目の会談)=ロイター

ボルトン前大統領補佐官(左)は米朝首脳会談に関与した(ハノイの2回目の会談)=ロイター

【ワシントン=永沢毅】ボルトン前米大統領補佐官(国家安全保障担当)は23日、トランプ政権での回顧録を出版した。3回にわたる米朝首脳会談の内幕を明かし、北朝鮮を利するだけになりかねないとして朝鮮戦争の終戦宣言の阻止に動いた経緯などを説明した。

2018年4月から約1年半にわたって大統領補佐官を担ったボルトン氏は米朝会談に深く関与したトランプ政権高官の一人だ。

18年6月にシンガポールで開いた史上初の米朝首脳会談は、同年3月の韓国の鄭義溶(チョン・ウィヨン)国家安保室長の訪朝が発端となった。文在寅(ムン・ジェイン)大統領の特使として平壌で金正恩(キム・ジョンウン)委員長と会った鄭氏はその後、ワシントンでトランプ大統領と面会。「金正恩氏がトランプ氏との早期の会談を熱望している」旨を伝え、トランプ氏が受け入れたとされる。

ボルトン氏によると、実態は異なる。鄭氏は後に、米朝首脳会談を金正恩氏に提案したのは自分だったとボルトン氏に認めたという。同氏は、南北統一を志向する韓国の動きは米国の国益につながらない「危険な芝居」に映ったと述懐する。

金正恩氏の非核化の意思を巡っても温度差がうかがえる。文氏は18年4月の南北首脳会談の翌日、トランプ氏に電話で「金正恩氏が1年以内の非核化に同意した」と伝えた。その後に話した安倍晋三首相は「過度に楽観的な文氏とは対照的な見解」で、トランプ氏に「金正恩を信じてはいけない」と警告したという。

シンガポールの首脳会談で合意に至らなかった朝鮮戦争の終戦宣言に関しても、ボルトン氏は「北朝鮮の考えだと思っていたが、文氏の南北統一構想から生まれたものではないかと疑い始めた」という。1950年に始まった朝鮮戦争はいまだに休戦状態にあり、これに終止符をうてば北朝鮮が望む金正恩政権の体制保証に一役買うことになる。

6月初旬、宣言に前向きだったトランプ氏にボルトン氏は「制裁解除や終戦宣言は完全な非核化の達成よりも先行すべきではない」と助言。さらにポンペオ国務長官とも宣言には核・ミサイル計画の申告が少なくとも必要だと申し合わせ、阻止に奔走した。結局は北朝鮮と折り合わず、宣言は見送りとなった。

決裂に終わったベトナムの首都ハノイでの2回目の米朝首脳会談でも、ボルトン氏は事前の会議で、1986年の米ソ首脳会談の映像をトランプ氏にみせた。当時のレーガン大統領がゴルバチョフ共産党書記長との核軍縮交渉を打ち切り、席を立った内容だ。

この映像をみたトランプ氏は「私は急ぐ必要はない。会談場所を立ち去ることもあり得る」と意を強くしたという。19年2月の会談当日、トランプ氏は見通しについて(1)包括的な合意を意味する「ビッグ・ディール」(2)内容の不十分な「スモール・ディール」(3)席を立つ――があり得ると語った。

首脳会談では金正恩氏が核開発の主力拠点である寧辺(ニョンビョン)の廃棄の見返りに制裁の全面解除を要求。「完全な合意がほしい」と追加の非核化を求めるトランプ氏との応酬が続いた金正恩氏はいらだちをあらわにした。

トランプ氏は最後に「(中途半端な合意は)米国内で政治的な影響が大きく、大統領選に負けかねない」と主張し、交渉は物別れに終わった。ボルトン氏は最後までトランプ氏が妥協する可能性を警戒していたという。

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2020-06-23 07:56:55Z
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