人類が半年前に知ったばかりのウイルスは、世界の1千万人以上に感染し、50万人を超える犠牲者を出している。災禍はどう始まり、どう広がっていったのか。感染の拡大が始まった中国・武漢を歩き、謎のウイルスの存在を捉えるまでの道筋や、ヒトヒト感染の認定に二の足を踏んだ中国の初期対応を検証する。連載「コロナの時代」の「パンデミックの序章」シリーズ第2回。
医師は防護服の着用を提案したが…
中国政府の専門家グループが新型コロナウイルスの検出を明らかにしたのは、1月9日の朝のことだ。政府や専門家の次の課題は、そのウイルスが「ヒトからヒトに感染するのか」の判断だった。
武漢市衛生健康委員会はこの段階で、「疑わしい現象は報告されていない」との見解を示していた。しかしその時、現場の医師からは違う見方も出ていた。
8日、武漢大学人民病院の呼吸内科副主任、余昌平(53)は、別々の地域に暮らす患者から共通の症状が出ていることに気づいた。
余は朝日新聞の取材に、「医師ならば誰もがヒトからヒトへの感染を疑う状況だった。私も心の中でそう思った」と証言する。
病院内では「感染予防策を強化しよう」との声が上がり、医療マスク「N95」が配られた。それでも政府発表がない以上、「ヒトからヒトへの感染が起きている」とは言い出せなかったと余は話す。
余は後に自らも感染して入院。病室から新型ウイルスの怖さを動画配信で訴え続けた。医師として、初期に警鐘を鳴らせなかった罪滅ぼしだったという。
拡大する午前10時の都市封鎖直後の武漢市内。発熱患者を専門に受け入れる病院の前には救急車が横付けされ、マスク姿の市民らが慌ただしく行き交っている=2020年1月23日、武漢市民提供
武漢市中心病院の急診科主任・艾芬も、当時のもどかしさを中国メディアに語っている。
華南海鮮卸売市場とその周辺にとどまっていた感染の範囲が、1月に入って急拡大した。家庭内感染と見られるケースも相次ぎ、11日には看護師の感染が報告された。
艾はヒトからヒトへの感染を確信したが、家族にさえそれを伝えられなかった。年末に「SARS型肺炎だ」とSNSで仲間に伝えたことを、病院幹部から叱責(しっせき)されていたからだ。
医師たちはヒトヒト感染に気づきましたが、政府の公表は遅れました。なぜでしょうか。その内幕を追いました。
同じ頃、別の医師が防護服の着…
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2020-07-01 20:34:55Z
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