実態は日本の報道の通りではない
11月11日に閉幕した中国共産党6中全会で新たな「歴史決議」が40年ぶりに採択された。これは、毛沢東と鄧小平の時に続く中国共産党史上3番目の「歴史決議」であるから、習近平主席がこの決議採択を主導した狙いは当然、自分自身を毛沢東・鄧小平と並ばせることによって自らの権威を高めることにあろう。 【写真】習政権に悪夢の襲来、ついに中国のスタグフレーションが始まった 決議採択の以前から、私自身を含めたチャイナウォッチャーの多くは、この「歴史決議」においてこそ、習主席が毛沢東・鄧小平と肩を並ぶ偉大なる指導者として称賛され、「鄧小平時代」に続く「習近平時代」の開始が高らかに宣言されるのではないかと思った。 「歴史決議」が採択された当日の晩、朝日新聞デジタルが配信した関連ニュースのタイトルは「習氏を毛沢東・鄧小平に並ぶ指導者に 中国共産党、『歴史決議』採択」である。そこからも分かるように、「歴史決議の採択で習近平が毛沢東・鄧小平に並ぶことになった」というのは日本における一般的な捉え方である。 しかしそれは本当だったのか。11月12日の人民日報で発表された6中全会コミュニケを丹念に読み解くと、実態は必ずしもそうではないことに気が付く。「歴史決議」は決して、習近平氏が当初から狙った通りの内容ではなかったのである。
その内容を見ると
「決議」の全文はまだ発表されていないが、6中全会コミュニケによると、それは今までの中国共産党百年史を、主に8つの段階に分けて記述・総括した。 第1段階は、1921年の共産党結党から1949年の政権樹立までの歴史であって、いわば共産革命の歴史段階である。この段階に関してコミュニケは、「毛沢東同志を主要代表とする中国共産党」を主語にして、共産革命を勝利に導いた毛沢東らの業績を褒め称えた。 第2段階は政権樹立から1978年末の中国共産党第11期中央委員会3中全会までの期間であるが、前述の6中全会コミュニケは、29年に及ぶこの歴史段階を「社会主義革命と建設の時代」だと位置づけ、「毛沢東同志を代表とする中国共産党」を主語に毛沢東主導の「国家建設」の業績を称賛した。 第3段階は前述の「共産党第11期中央委員会3中全会」から始まる。実はこの「3中全会」こそ、共産党史上における鄧小平改革路線の始まりであって、いわば「鄧小平時代」のスタートである。6中全会コミュニケはここでは、「鄧小平同志を主要代表とする共産党」との表現を用いて、鄧小平改革路線の成功を高く評価し鄧小平の歴史業績に賛辞を捧げた。 そして第4段階は、1989年夏の中国共産党第13期中央委員会4全会から始まる。実は、この全会において「天安門事件」で失脚した共産党元総書記の趙紫陽に取って代わって、江沢民氏が新たな総書記に任命された。江沢民政権時代の始まりである。そして6中全会コミュニケは、「江沢民同志を主要代表とする中国共産党」を主語に、「社会主義市場経済」の構築や「改革開放の新しい局面開拓」における江沢民と江沢民政権の業績を評価した。 続いて第5段階であるが、それは2002年秋の中国共産党第16回全国大会から始まるとされている。この大会において江沢民は共産党総書記のポストから退いて、胡錦濤氏が新しい総書記として登場したから、ここから始まったのは胡錦濤政権時代である。6中全会コミュニケはここでもやはり、「胡錦濤同志を主要代表とする中国共産党」を主語にして、「協調社会建設」などにおける胡錦濤政権と胡錦濤氏の業績を褒め称えた。 上述の5つの段階を総括・評価した上で、6中全会コミュニケは最後の第6段階として、2012年秋の中国共産党第18回全国大会で成立した習近平政権時代への評価に移る。ここではかなり長い字幅を使って、「習近平同志を主要代表とする中国共産党」が政治・経済・外交のあらゆる面で勝ち取った勝利と成果を絶賛した。
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2021-11-13 21:13:50Z
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