ポール・アダムス(エルサレム)、グレアム・ベイカー(ロンドン)、BBCニュース
「息が詰まるような」空気の薄い部屋で、何も敷かれていないベンチの上で寝ていた。食べ物はほとんどなかった。イスラム組織ハマスの人質となった子供の1人は、10月7日のイスラエルでの殺りくの様子を映した動画を見るよう強制された。
パレスチナ自治区ガザ地区から解放された人質から聞こえてくる話は、不衛生な環境で、不安と恐怖の中で過ごした数週間の様子を明るみにしつつある。こうした証言のほとんどは、親族を通じて伝えられている。
人質の1人、ルティ・ムンダーさん(78)は、見張り役らの無線のやり取りを聞いて、息子がイスラエルで殺されたことを知ったと語った。
デボラ・コーヘンさんは、12歳のおいが、イスラエル南部でのハマス戦闘員による凶暴な行為を映した動画を見せられたと訴えた。
イスラエルとハマスの戦闘休止合意により、ハマスの人質にされた推定240人のうち80人以上が解放された。そのうち61人はイスラエル人だ。
拘束中の体験について、直接言及する人はほとんどいない。それでも、(本人自身あるいは家族を通じて聞こえてくる)数少ない証言からは、彼らが多くの精神的・肉体的な傷を負った監禁生活の様子が伝わってくる。
フランスのテレビ局BFMのインタビューで、コーヘンさんはおいのエイタン・ヤハロミさん(12)がハマスの人質として耐え続けた52日間の状況を語った。
「おいがガザ地区に着くと、住民全員が、誰もが彼を殴ったそうです。12歳の子供だというのに」。コーヘンさんはさらに、泣いている子供は誰であろうと「ライフルで脅された」のだと続けた。
コーヘンさんは、エイタンさんから、少なくとも1200人が殺害された10月7日の攻撃を映した「恐ろしい動画を見るよう、ハマスに強制された」と聞かされたという。
「昨日(エイタンさんが解放された27日)は、私たちはとても幸せでした」と、コーヘンさんは同テレビ局に語った。「ですが、このことを知ったいまは、不安な気持ちです。想像を絶することなので。そんなことができる人がいるなんて」。
「エイタンが良い扱いを受けていると信じたかったが、どうやら違うようです。彼らはモンスターです」
現地紙「タイムズ・オブ・イスラエル」は、エイタンさんの父親オハドさんについて、銃撃戦で撃たれて負傷し、いまもガザ地区で拘束されていると報じた。
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ほかの人質たちは、ぎゅうぎゅう詰めの地下の廊下や、電気がほとんど通っていない部屋に閉じ込められていたと、親族に語っている。
人質は見張り役に厳しく管理され、人質同士でひそかにやり取りしようとするかもしれないとして、ペンすら持たせてもらえなかったという。
ルティ・ムンダーさん(78)は娘ケレンさん(54)と孫オハド・ムンダー=ジクリさん(9)と共に、24日に解放された。
ムンダーさんは、人質は新鮮な空気がほとんど入ってこない「息が詰まるような」部屋で、マットレスの敷かれていないベンチの上で寝ることを強制されていたと語った。
自分は幸運にもシーツを与えられたと、ムンダーさん話した。少女や少年など多くの人質は何も渡されなかった。
「私たちはシーツで体を覆いました。男の子たちはベンチの下、床の上で寝ました。私たちの隣にいてほしかったので」と、ムンダーさんはイスラエルのチャンネル13に語った。
ハマスが人質の家族らを離ればなれにしたことで、10月7日に親族に何が起きたのか分からないままでいる人が多かったとみられる。
ムンダーさんの家族が公開した動画では、親族の1人が、ムンダーさんの夫アブラハムさん(78)がいまも拘束されていると話しているのが聞こえる。娘のケレンさんは、「じゃあ、父は殺されていなかったんだね」と答えている。
ムンダーさんは、息子のロイさんが、イスラエル南部のキブツ(農業共同体)ニル・オズでハマス戦闘員に殺害されたことを、ハマスが使う無線のやり取りを聞いて知ったことも明かした。
食事にはばらつきがあったという。78歳のムンダーさんは、初めはチキンや米と、1日2回お茶が与えられたと話した。
「私たちは大丈夫な状況でした」としつつ、与えられる食事の内容はすぐに変わったと付け加えた。「経済状況は良くなくて、みんな飢えていました」。
ムンダーさんの親族メラヴ・ラヴィヴさんは、ムンダーさんと娘の体重がそれぞれ7キロほど落ちたと話した。
フムスの缶詰やピタパン、塩気のあるチーズなどの乏しい食事の量が次第に減っていったと話す人もいる。最終的に1日にたった2切れのパンしか与えられなくなったという人質もいた。
解放された子供たちの世話に携わっている人々によると、子供たちの多くが心理的負担に苦しんでいる。
キブツ・ベエリの住民の1人は、解放された少女2人にいまだに小声で話す習慣が残っていると語った。少女たちは数週間にわたる捕虜生活の中で、声を抑えて話すよう指示されていた。
26日に解放されたアイルランド系イスラエル人エミリー・ハンドさん(9)の父親トーマス・ハンドさんは、エミリーさんが夜、泣きながら眠りについていることを明かした。
「娘はゆっくり、少しずつ、何があったかを話し始めています」と、トーマスさんは米メディアに述べた。
「娘との再会で最も衝撃的で気がかりだったのは、娘がささやくだけで、なんて言っているか聞こえなかったことです。娘の唇に耳をあてなければならないほどでした」
「娘は物音を立てないようにさせられていたのです」
エルマ・アブラハムさん(84)は26日に解放されるとすぐに、ヘリコプターでイスラエル南部ベエルシェバの病院に搬送された。アブラハムさんは「命の危険がある深刻な」状態だった。
娘タリ・アマノさんは、すでにいくつもの深刻な病状を患っていた母親を、ハマスがひどい状態で拘束していたと話した。
アブラハムさんが毎日必要としていた投薬は、約50日間断たれた状態だったという。「あと数時間到着が遅ければ、母を失っていたでしょう」と、娘は話した。
人質・行方不明者家族フォーラムのハガイ・レヴィン医療担当責任者は、アブラハムさんについて、「52日間もの間(中略)どんな人間も閉じ込められるべきではない状況に置かれていた。(中略)人間としての尊厳もない状況に」と語った。
平和活動家で、孫もいるリフシッツさんは、モーターバイクに乗せられ、ガザ地区の地下にある「クモの巣」のようなトンネルに連れて行かれたと語った。
移動中に棒で殴られたとした一方で、人質の大半について「いい扱いを受けていた」とも述べた。清潔な場所で、床に敷かれたマットレスの上で眠ることができたという。
「(ハマスは)私たちが病気にならないようにしてくれて、2~3日おきに医者に会えた」
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2023-11-29 07:14:16Z
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