元フランス大統領のバレリー・ジスカールデスタン氏が2日、新型コロナウイルス感染症のため仏西部トゥール近郊の自宅で死去した。94歳。心臓病を患い、ここ数カ月は入退院を繰り返していた。仏メディアによると、故人の遺志により葬儀は家族のみで行う。
フランス占領下にあったドイツ西部で、学者や官僚を輩出した家系に生まれた。エリート官僚養成で有名な国立行政学院などで学んだ後、財務省に入省。1956年に下院議員に初当選し、その後、財務経済相などを経て、74~81年に大統領を務めた。
大統領時代は中道として新幹線(TGV)の敷設や、成人年齢の21歳から18歳への引き下げなどに尽力。日本を含む主要国サミット(G6)発足にも力を注ぎ、75年に仏で第1回主要国首脳会議(ランブイエ・サミット)も実現した。だが、81年の大統領選で社会党の故ミッテラン氏に敗れ、その後は国会議員などとして観光振興や仏大統領の任期短縮(7年から5年に)などに尽力した。
欧州統合派として知られ、2001~03年に「欧州憲法」の起草委員長を務めた。欧州大統領や外相の新設などを盛り込んだ憲法は結局、仏などの国民投票で採択が否決されたが、その後のリスボン条約に大枠が引き継がれた。
17年3月には仏紙のインタビューで、英国が国民投票で欧州連合(EU)からの離脱を決めたことについて問われ、「敗者となるリスクがあるのはEUではなく英国だ」と述べ、英国民の選択を残念がった。
晩年にも旺盛な知識欲は衰えず、07年に毎日新聞のインタビューに応じた際は、記者に日本の政治状況の詳細などを逆に質問する一幕も。トルコのEU加盟には反対で、記者に「トルコは文化的に欧州ではない」と語った。
一方、09年に小説「皇太子妃と大統領」を発刊。英国の故ダイアナ元妃と自身の恋愛を描いたのでは、と指摘されたが、自身は「小説は完全なフィクションだ」と否定していた。【パリ久野華代】
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2020-12-02 23:30:31Z
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