【パリ=白石透冴】1974年から7年にわたりフランスの大統領を務めたヴァレリー・ジスカールデスタン氏が2日、死去した。94歳だった。原発を中心にした仏エネルギー政策の礎を築いたほか、サミット(主要国首脳会議)を提唱し、第1回会議を開催した。
仏大統領府が訃報を確認した。1926年、独西部コブランス生まれ。エリート養成校のグランゼコールである理工科学校(エコール・ポリテクニーク)や国立行政学院(ENA)で学んだ。56年国民議会(下院)議員。60年代に2度、経財相を歴任した。
74年、48歳で大統領に就任。2017年にマクロン大統領が39歳で就任して塗り替えるまで、第5共和制では最も若い大統領だった。前年の第一次石油危機に続く世界的な景気後退を前に、主要国の政策協調を目的にサミット開催を提唱。75年に第一回会議をパリ郊外のランブイエで開いた。
国内では78年に仏民主連合(UDF)を創設し中道勢力の伸長を図ったが82年の大統領選挙では社会党のミッテラン氏に敗れ、再選はならなかった。02年2月に欧州評議会の初代議長に就いた。
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2020-12-02 22:34:04Z
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