「父の壁」はやはり厚く、高かった。世界最悪レベルの新型コロナウイルス禍という国難の中で、ベテランの政治家として政治経験のほとんどない急進左派候補を猛追していたケイコ・フジモリ氏は今回も惜敗した。
2006年4月、30歳でケイコ氏が初の国会議員選に臨んだとき、リマの自宅でインタビューした。両親の離婚により19歳から6年間ファーストレディーを務めるなど、若くして最高権力の一角を占めた経歴から権高い女性をイメージしていたが、全くの思い違いだった。親しみやすい笑顔と質問のひとつひとつに真摯(しんし)に答える姿は父の信頼を得た「優等生の長女」。ケイコ氏が連発する「ポルケ」(なぜなら)という小気味いい響きにつられて、私もつい「ポルケ」(なぜの意味も持つ)と口に出た。ケイコ氏は一瞬目を丸くして無邪気な笑顔を見せた。
フジモリ氏は当時、隣国のチリで拘束されていたが、「父は無罪を証明して自力で戻ってくる。2011年の大統領選では父が再び勝利する」と語るなど父娘の絆を感じさせた。
政治家としての彼女の人生は、失脚から20年以上もたつ現在もペルー社会の評価を二分するカリスマの父に翻弄され続けてきた。父の生き方に影響を受け、その威光(七光りでもある)を背景に世に出たケイコ氏が、父の負の部分も背負うのは避けられない運命だった。
中でも政経官各界やメディアに根を張る「キャビア」と呼ばれる自称左派の白人系既得権益層のフジモリ批判は執拗(しつよう)だった。フジモリ氏は日系という少数派から現れた「異端」であり、自分たちが独占していた特権を切り崩した存在だからだ。
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2021-07-20 06:17:37Z
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