宇田さんがこの20数年間、欠かさずにやってきた日課がある。 ミャンマー情報省のサイトから英語とミャンマー語の国営紙をダウンロードして読み込む作業だ。「国際社会では反体制派の人々の動向に関心を払う人が多い。自分は、ミャンマー政府が何を考えているかを追いかけようと思った」 ミャンマー人の知人らから「クーデターが起きたかも知れない」という連絡が入った2月1日、宇田さんはいつもの作業を終えたところだった。「クーデターなら、放送局などを占拠するはずだ。本当なのか」といぶかしい気持ちでいると、情報省のサイトに接続できなくなった。 宇田さんは「驚きと安心と反省が入り交じった気分になった」と語る。「流血はなかった。ミャンマーの人の血が流れなかったと思い、ほっとした。直前までクーデターを予測できなくて、驚くばかりだった」。では、なぜ「反省」したのか。 ミャンマーは2011年に長く続いた軍政から民政へ移り、軍出身のテインセインが大統領に就任した。当時、ほとんどのメディアや専門家は「背後に軍政のトップで独裁者だったタンシュエ上級大将がいて、テインセインを操っている」と分析したが、予想外のスピードで民主化が進み、2016年に初の文民大統領が誕生したからだ。「今回も、事前にクーデターの動きを感じ取れなかった」という反省の気持ちがこみ上げたという。 「軍政下に生きる人々」は、宇田さんがずっと追い続けてきた取材テーマだ。「民族や宗教紛争は、当事者それぞれに正義がある。でも、軍政下の暮らし、暴力による支配に納得する人はいない」と思ったからだ。 最初は中米のエルサルバドルやグアテマラで取材を始めた。中米での取材が落ち着き、次は東南アジアでの取材を考えた。「インドネシアは大きすぎて手に余る。ミャンマーなら、納得がいく取材ができるのではないか」と考えた。1993年5月、初めてミャンマーの土を踏んだ。最初は、タイ国境に近い東部カレン州で、軍政に抵抗するカレン族ゲリラを中心に取材していたが、やがて壁に当たった。 「なぜ、彼らは命をかけてここまで必死に軍政に抵抗するのか」。国軍が襲った村を取材した。被害者のカレン族の人に「何を盗まれたのか」と聞いてみると、それは粗末なコップや皿などだった。「大金を盗まれたわけでもない。彼らの抵抗する力の源泉は何なのだろうか」と考え込むようになった。 理解を深めようと、2002年に取材拠点を当時の首都ヤンゴン(2006年にネピドーに遷都)に移した。その後、シャン州、ラカイン州、カチン州などミャンマー各地に足を運んだ。少数民族の問題や軍政の実態、ムスリムへの差別問題などを目の当たりにすることになった。
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2021-02-04 07:36:22Z
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